検疫官

検疫官―ウイルスを水際で食い止める女医の物語

検疫官―ウイルスを水際で食い止める女医の物語

臨床看護2004年10月号 ほんのひととき 掲載
“存在感のある人とは,大きく見えるものである。岩粼惠美子氏に対する私の印象のひとつはそれだ。…日本熱帯医学会での学会発表を聞いたのが,岩粼さんとの出会い。演題は「ウガンダ・グル地区でのエボラ出血熱アウトブレイク」。岩粼さんがエボラの現場で働いていながらマラリアに罹患して帰国した,というのは途上国における自然との相克の証左である"(本書あとがきより)

 今年も優れたノンフィクション作品を夏休みに読むことができました。本書『検疫官』は昨年2月に刊行された本です。副題の「ウイルスを水際で食い止める女医の物語」というタイトルに魅かれて買い求めました。
 その女医とは仙台検疫所長の岩粼惠美子先生で,本誌の「特集:感染症予防対策」(2002年9月号)のなかの「輸入感染症」や,「緊急レポート SARS対策Q&A」(2003年6,7月号)を書かれており,連載「living with it.」が本年4月から始まっていて,みなさんにもお馴染みだと思います。
 そして著者の小林さんは,明治薬科大学在学中の1991年に奄美・沖縄に生息する毒蛇「ハブ」の血清づくりに心血を注いだ医学者沢井芳男先生の半生を描いた医学史発掘ノンフィクション『毒蛇』(TBSブリタニカ:文春文庫)で第1回開高健奨励賞を受賞し,さらに1999年には佐渡でトキの保護に戦後から尽力した在野の男達の半生を描いた『朱鷲の遺言』(中公文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。
 『毒蛇』のあとがきには小林さんが医学部をめざして受験浪人中に,日本蛇族学術研究所(通称ジャパンスネークセンター)を訪ねて沢井先生の弟子になろうと薬学部に転向した経緯が書かれています。そして頻繁に研究所を訪れては「人命のために真摯に研究に取り組んでいる沢井先生の姿に私は感銘を受けた。そして時系列のレポート形式で沢井先生の半生をまとめ始めた」成果が,初作品『毒蛇』として結実したそうです。
 文頭に紹介したように,本書『検疫官』は小林さんと岩粼先生との学会での出会いから生まれました。医学を真摯に追い求めている研究者に対する直感的な畏敬心に満ちている小林さんならではのきっかけだと思います。
 小林さんの作品には,優れたノンフィクション作品に共通する徹底的な現場取材とインタビュー,そしてそれらを裏付ける正確な知識・文献・情報が基礎になっています。
 「50歳をすぎて熱帯医学を志し,安穏な医師生活を捨て去って発展途上国の医療に従事する。インド,タイ,南米パラグアイを経て,日本検疫史上初の女性検疫所長となる。ウガンダでのエボラ出血熱アウトブレイクでは,日本人で初めて現場の治療にあたった,仙台検疫所長・岩粼惠美子」を淡々と描きながら,日本の検疫体制,輸入感染症対策,生物・化学テロ対策について自ずと読者に考えさせる筆力をもっています。
 来年50歳になる私にとっては,岩粼先生がペンシルバニア大学留学中に出会ったポーランドアメリカ人医師の次の言葉が,本書を読んでいてもっとも心につきささりました。この医師は50歳を迎えた後で,医療体制が不十分な中南米で医療活動をするために旅立ったそうです。
 “私は自分の人生を25年周期に区切っている。生まれてから25年は自分のための25年だった。26歳からの25年間は,家族のために使う25年だと思って今日まで生きてきた。医師としての仕事は,自分のためでもあるけれど,家族を養っていくためのものでもある。でも50歳からの25年間は,医師の仕事をそのまま社会に役立てることができると思っている。50をすぎてからの25年は私は社会のために使いたいと思っているんだ"
 本書を読み終えると,巻末についている感染症新法による1〜4類の感染症類型,渡航別予防接種,さらに検疫所のホームページなど,今まで縁遠く感じていたこれらの表が非常に身近に感じられるようになるのも,小林さんと岩粼先生の出会いのおかげだと思います。