金素雲『朝鮮詩集』の世界
- 作者: 林容沢
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2000/10
- メディア: 新書
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“日本と韓国はいちばん近い国でありながら,最も遠い国であり,両国の間では目に見えない心の壁を残していると言われてきた。
その時期にあって日韓両国の心の交流のために努力した人物がいる。一生を祖国韓国の文学と文化の日本での翻訳・紹介に献じた金素雲(キム・ソウン:1908〜81年)である。…支配国による文化抹殺政策がいちばん激しかったときに,母国語の詩をあえて支配国の言葉で訳し,支配国で出版するという,世界文学史上あまり例をみない事実について,まだ両国ともに冷静な判断を下していない"(本書序章より)
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2002年サッカーワールドカップ日韓共同開催,最近のテレビドラマ「冬のソナタ」の大ヒット,そして映画,音楽における韓国ブームと,隣国である韓国との文化交流がますます盛んになってきています。
同様に1990年代の後半に入って,韓国でも日本文学ブームが起きているそうです。村上春樹,村上龍,吉本ばなな,山田詠美といった戦後生まれの作家の作品が続々と韓国語に翻訳されて大きな反響を呼び,さらには1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんの小説文学全集(全24巻)が翻訳刊行されているそうです。
今回紹介する“金素雲『朝鮮詩集』の世界;祖国喪失者の詩心"は,比較文学を専攻している韓国人の林容澤(イム・ヨンテク)さんが東大留学中に書いた学位論文をもとに書かれた本です。
『朝鮮詩集』(岩波文庫版)は,韓国詩人の金素雲が昭和15年,東京で出版した朝鮮近代詩の訳詩集です。
私がこの詩集を知ったきっかけは,以前この欄で紹介した芳賀徹さんの『詩歌の森』(中公新書)を通じてです。この詩集が刊行された当時の評判を芳賀さんは次のように書いています。
“もっとも鋭敏な反応を示したのは,これに序を寄せた日本の詩人佐藤春夫であった。「たとえばこれは清冽な地下水である,それが日本海の海底を潜って今富嶽の此方に湧出した。正に奇蹟である」"(『詩歌の森』より)
上田敏や永井荷風の訳詩集とならぶ近代日本古典と評されているそうです。
では林さんがとりあげた詩を読んでみましょう。
“わすれねばこそ"
わすれねばこそ こゝろもくるふ,/ならば一生をたゞ生きなされ/生きりや わすれる日もござる。
わすれねばこそ おもひはつのる,/ならば月日をたゞ経りなされ/たまにや想はぬ日もござる。
したが はてさて こればつかりは,/しんじつ恋しいこゝろのひとを/束の間ぢやとて どうわすれよう。"
(金素月『つつじの花』より金素雲訳)
この詩をもとに林さんは韓国民の伝統美学といわれる「恨」の構造について“愛する人から捨てられたことを恨みながらも,その現実を一向に拒もうともせず,まるで自分に定められた運命のように受け入れ,一生を相手への片思いで生きようとする消極的な態度や矛盾した心理"と言及しています。
さらに日本文学の「もののあはれ」と「恨」の共通点が,“この詩にみられる互いに愛しながらも離別をせねばならない運命にあることに対する自覚と,そのためにこの世をはかないものと受け止める態度に求められる"と述べています。
私は今年の夏休みの朝や,旅先でこの詩集をあらためてゆっくり読もうと思っています。「冬ソナ」がよりいっそう味わえるようになるかもしれませんね。
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“日韓両国の心からの親交の必要性が強調される今日,両国に跨がる特殊な歴史背景から生まれた一訳詩集を通して,その展望を探ってみるのも有意義なことであろうし,それにもまして,この一冊のアンソロジーに盛り込まれた韓国の詩心を読むことは,日本の読者にとって韓国民の情緒を理解するためのささやかな手引きになるだろうと思われる"(本書序章より)