新・考えるヒント

新・考えるヒント

新・考えるヒント

臨床看護2004年7月号 ほんのひととき 掲載
“精神には,自分に出会うという以上に喜びは存在しない。小林秀雄を読むときに要求される自覚の靱さと緊張感とが,まさしくそれだと言っていい。私は彼を読むたびに,自分が精神としてあることの喜びを,そのたびに新たにするものである"(本書より)

 著者の池田晶子さんは,専門用語としての「哲学」ではなく,日常言語によって真に「考える」ための哲学表現を実践していて,最近では『14歳からの哲学−考えるための教科書』(トランスビュー社刊)などのベストセラーがあります。
 本書は40年前に書かれた小林秀雄著『考えるヒント』と同じ章立てと,引用も文脈に応じて適宜,さらに文体まで似ているという「哲学エッセー」です。小林秀雄さんを「好きだからこそわかることがある。いや好きでなければわかろうはずもないのは,恋愛心理と同じである…ラブレターを書き綴るには飽きたらずに,いわば一方的なランデブーを敢行してしまった」という,まさに著者の言葉どおりの内容の本です。
 今年の2月に発売されて以来,新聞各紙の書評欄にも取り上げられていました。読み始めるまでは,書名を見てなにか胡散臭さも感じていたのですが,池田さんの歯切れのいい文章に引き込まれてしまいました。
 “人生について考えるという,誰もがしているはずのこの当り前のことが,しかしこれを正しく行なうということは如何に困難なことであるか,繊細に揺れる針のような注意力が必要なだけでない。確信をもって掴んだものを決して手離さないという忍耐力,裏から言えば,偽りを偽りとして看破し去る力強い直観力が必要なのだ"(本書より)
 日常生活あるいは診療の場においても,当り前のように使っている言葉,例えば「信じる」「わかる」「考える」さらには「道徳」「倫理」「良心」といった言葉も,本書を読み直すたびに見直してしまう,まさに目から鱗が落ちるような知的刺激に富んでいます。
 例えば「倫理」については,池田さんは小林秀雄の言葉を引用しつつ次のように指摘しています。
 “人が,規範を外部に求める理由は,内的規範によって自由に行為することを望まないという以前に,まず内的規範を自ら見出すための手間を省きたいというところにあるのかも知れない。倫理的なるものが判定され,倫理は外部にあるものと,人はいよいよ思いなすようになる…法律がよく整備されるほど人は馬鹿ですむ以上,人がより馬鹿になることを願ってやまないことになりはしないか"(本書より)
 さらに「良心」は,“はっきりとした命令もしないし,強制もしまい。本居宣長が見破ってたように,恐らく,良心とは,理知ではなくて情なのである。それは個人の感慨のうちにしか生きられず,論理化され,社会化されることができない何ものか,その自発的な力だけで十分な何かなのだ"(本書より)
 そのうえで,ではどうすればいいのかという処方を池田さんは次のように提示しています。
 “考える精神は,決してわれわれを裏切らない。われわれは,もっと信じるべきではないのか…常識を意識的に生きるということは,常識に対して醒めているということになるが,この醒めた視線は,だから,考える精神の透過性とでも言うべきか,ふつうに人がそれを自分だと思っているところの「私」というものをも,見抜いて透過してゆくだろう"(本書より)
 読み終えて,さらに再読してみて,「世界を見る目は少なからず変わるはずなのである」という池田さんの言葉に思わず頷きたくなりました。

 “批評家はすぐに医者になりたがるが,批評精神は,むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する,いったい,どこが,どんな具合に痛いのか。たいがいの患者は,どう返事しても,すぐなんと拙い返事をしたものだと思うだろう。それが「状況」の感覚だと言っていい。私は,患者として,いつも自分の拙い返答のほうを信用することにしている"(本書より)