外科学臨床講義Ⅴ;研修医のための早朝講義

外科学臨床講義 (5別巻2)

外科学臨床講義 (5別巻2)

臨床看護2004年6月号 ほんのひととき 掲載
“学生がなぜある一人の教師に惹き付けられるのかということは,学生にとっては説明がつかないし,不可解なことであろう。それにもかかわらず,彼らは無意識のうちに教師の考え方,感じ方,行動を真似る。少なくとも彼らが自分自身の独自のものをもつまでは"(外科医ピルロートの言葉)

 今年の4月から新しい研修医制度のもとで卒後1,2年目の医師臨床研修が数多くの研修指定病院で始まりました。研修を受ける若いドクターたちにも,また,受け入れる病院サイドにも多くの期待と不安があることと思います。
 まさにこの改革の時期に,待ち望んでいた小川道雄先生の「早朝講義録」が刊行されました。
 本書は小川先生が熊本大学第二外科に着任した翌年1991年から12年間実施した早朝講義の講義記録です。第1シリーズは新入局歓迎会の翌朝の午前6時30分から1カ月間,毎朝1時間ずつの例年20回の講義と,第2シリーズは1年次研修を終える直前に週1回行うもので毎年4回実施されてきたそうです。
 2001年6月に放映されたNHKテレビ「にんげんドキュメント」という番組で小川先生が紹介されたときも,この早朝講義を中心にして番組が組み立てられていました。このビデオを当院に毎週大学から1日研修に来る医学生に見せながら,私自身もこの講義の実際の内容と配布されたプリントをぜひみてみたいと思っていました。
 そのようななか,先月に小川先生から本書をお送りいただきました。
 長年探し求めていたお宝を手に入れたような,心わくわくするほどのうれしさを覚えました。ついつい逸る気持ちを抑えながら,“もし本書を通読して頂けるのなら,毎日(できれば毎朝)1章ずつ分けてお読み頂きたい"という小川先生の指示に従って,朝の病棟回診前の時間に講義1回分ずつ読み進めました。
 “ドクターズルールでFriedという人は「結局,臨床医学の要素の3分の1は知識である,無知は許されない。技術的にもいろいろなことを知っていなくてはいけないから,経験も3分の1いる。しかし,残りの3分の1は,社会人としての常識だ」と言っている。すべきか,すべきでないかということも,実は,常識で考えて判断できることです"(本書より)
 この講義始めの数回分のなかでは,この「常識」について研修医に向かって具体的に繰り返し取り上げています。例えば新聞の投書欄の切り抜きを使いながら,いわば患者さんの声をとおして小川先生は社会人としての常識を静かに諭すように語りかけています。
 “「君たちは士官である。今は若くてまだ見習い士官だけれど,士官だからこそ他人から注意されない。だから自分で戒めなければならない」と研修医に言っている。「このことはおかしい」と患者さんや家族が注意してくれないものだから,自分でそれを考えなければいけないし,自分でいつも反省しなければいけない"(『外科学臨床講義Ⅰ』より)という先生の信念を改めて感じとれると思います。
 “「社会人としての常識をわきまえた医療人」を育成するためのテキストとしても利用できるのではないかと考えている"(本書はしがきより)
 医療の主体が,「医師」から「患者」へと移行しつつあるこの変革の時期に,研修医のみならず,指導する立場の私たちにとっても,本書を通じて小川先生の講義を受けることによって医療人としての襟を改めて正す契機になると思います。

 “ムンテラと今のインフォームド・コンセントとはまったく違う。ムンテラは主語は「医師が」で,「治療する」,「口で治療する」の意味。インフォームド・コンセント(IC)は主語は「患者が」だ。患者が「説明を受け,理解し,承諾する」の意味。だからICを行うというのはおかしい。ICをとるとか,得るとか言う"(本書より)