コスモス・オデッセイ

コスモス・オデッセイ―酸素原子が語る宇宙の物語

コスモス・オデッセイ―酸素原子が語る宇宙の物語

臨床看護2004年3月号 ほんのひととき 掲載
“山で晴れた夜に空を見上げると,自分自身が空の一部になってしまう。星が手を延ばして触ってくるような気がする。そして,突然,銀河に抱かれるのを感じる"(本書より)

 今年の正月早々,NASAのジェット推進研究所が打ち上げた火星無人探査機「マーズローバー スピリット」が火星表面に軟着陸したニュースが,まさに飛び込んできました。荒涼とした砂漠を思わせる無毛の火星表面のカラー写真をまだお屠蘇気分の残る寝ぼけ眼で見た方も多いと思います(私もその一人)。そしてミニ熱放射分光計が結晶構造の水を探知したということも大きく報道されました。かつては火星にも水があったことから次は生命体の痕跡が発見されるのではという期待が高まっています。
 ちょうどこの報道のあった正月休みに読んでいた本が本書『コスモス・オデッセイ』です。副題には「酸素原子が語る宇宙の物語」とあるように,本書の大きな特徴は私たちの生命維持になくてはならない水と呼吸をつかさどっている「酸素原子」を物語の主人公に取り上げて,この100年間に爆発的に進んだ物理学とくに量子物理学とそれに伴って進歩した天文学,地球学,生物学に基づいて宇宙の誕生から37億年もの壮大なドラマを描いている点です。
 「私たちはどこから来てどこへ行こうとしているのか?」という問いに対して,ビックバンから人類の誕生進化に至る歴史を見事に描いた叙事詩,という本書の書評につられて読み始めました。
 著者のクラウスさんは物理天文学者です。素粒子ニュートリノの専門家として,岐阜の神岡鉱山茂住坑の奥深くにあるスーパーカミオカンデンを訪れたことが,本書の冒頭に取り上げられています。またエール大学で「詩人のための物理学」を教えた経歴からもわかるように科学教育に強い関心をもち,数多くの啓蒙書があります。
 前々回のこの欄で取り上げた『生命40億年全史』のフォーティーさんが,生命40億年の歴史を一つの物語,自分なりの解釈による生命の一代記として描きたい欲求にかられて,一気に語り尽くそうという希有壮大な企てを,それも単独で挑んだ「語り部」だとすれば,クラウスさんも図や写真を使わずに宇宙の叙事詩を言葉だけで語ることができる宇宙誌の「語り部」でしょう。
 “今日ある原子は各々,信じられないほどの狭き門をくぐって生き残ったのだ。原子宇宙という激動に満ちたスープのなかには,粒子と半粒子がほぼ同数だけあり,そのうちほんのわずかな粒子だけが残ったに違いない。10億分の1という,不均等がなかったら,今日,宇宙に原子は存在していなかったはずだ"(本書より)
 さらに陽子や中性子クォークという基本粒子が閉じ込められ作られていることの説明に安部公房の『砂の女』が用いられているなど,クラウスさんの文芸哲学への造詣の深さも随所に感じられます。
 “酸素は星の中で核反応として合成され,星の最後を飾る超新星爆発によって宇宙空間にガスとしてまき散らされて,そのガスから次の恒星がうまれ,さらに太陽系のような惑星系が形成される。この宇宙的輪廻の経路から地球を構成するようになった酸素はまた地球の中で大循環する。私たちの体を作り,呼吸を支える酸素原子は数え切れないほどの生命を経てやってきたものだ(本書より)"
 医学にも大きくかかわっている酸素分子,酸素原子がより身近に感じられ,まさにその顔つきまで見えてくるようなクラウスさんの筆力と,それを支える学問の進歩が強い印象として残りました。

 “なぜ地球では温室効果が止めどもなく強まらなかったのだろうか。答えは,液体の水と,運だ。地球から太陽までの距離が15%短かったら,こうはなっていなかった。同様にかつての大気の主要成分が二酸化炭素だったとき,太陽は光度が30%低かった。そして過去40億年ほどにわたって地球上に液体の水は残った"(本書より)