医者が心をひらくとき(上・下)

医者が心をひらくとき?A Piece of My Mind (上)

医者が心をひらくとき?A Piece of My Mind (上)

臨床看護2004年2月号 ほんのひととき 掲載
“指導医たちは,現実から逃避するためにアルコールや薬剤に頼ろうとするレジデントに対してのほうが,私に対してよりも同情的であるように見えた。指導医たちにとっては患者の前で涙を流す医師など容認できないのであった。…しかし患者たちは,新人インターンだった私の涙を,弱さの表われとしてではなく,患者が人生の大事に遭遇したことを私が理解し,悲しみを共有していることを示す証として見てくれた"(本書『涙』より)

 アメリカ医師会誌(JAMA)は,アメリカで,あるいは世界で最も発行部数の多い医学専門雑誌で,日本語版も月1回刊行されています。このJAMAに“A Piece of My Mind(私の本心)"というコラムが創設されて20年以上になるそうです。Give a person a piece of mind(人に本心を打ち明ける)という慣用句からとられているそうですが,20年間にじつに8,000以上の原稿が投稿されて,審査のうえで最終的には約800の物語が掲載されました。
 本書は,その選集の翻訳として昨年出版されました。なぜこのように多くの原稿が投稿されているのかについて,編者のヤングさんはまえがきで次のように述べています。
 “書くことで,自分自身にそして他の医師たちに,そもそも自分たちはなぜ医に関わる職業についたのかという理由を再認識させたいことにあるのだろう…医師である著者たちは,読者を信頼してその心をひらき,もっとも個人的な体験について打ち明けてくれている。それは,「心を閉ざす壁が打ち砕かれ,心の奥底に秘められていた言葉にならない秘密が明らかにされるときの…突然に生まれる親密さ」である"
 ご存じのように,最近の医療のキーワードに EBM があります。そして EBM に基づいた診断・治療ガイドライン,各種のマニュアルで医療の標準化が各分野で進んでいます。
 でも実際の医療の現場では「それだけじゃないんだ」という気持ちや違和感を私自身も日々感じています。EBMのEはevidenceだけではなく,empirical(経験的)でもあると思っています。本書の巻頭の序では,ノースウエスタン大学「倫理と人間性の価値観についてのプログラム」担当であるモントゴメリ先生がそのことを代弁しています。
 “患者や患者の疾患に対して医師が感情的に関わることは,客観的かつ標準化された,再現可能な方法で症例を扱うという理想から逸脱することになる。到達すべき目標は,医師が誰であっても変わらない。正しい診断と治療の選択をすることであり,患者のケアにおける医師の体験を記載することは,医学的報告においては,まったく的外れのこととされてきた。しかし,このことを疑う感情はずっと存在してきたのだ!"
 同様のコラム欄が最近の医学雑誌にも数多く取り上げられています。たとえばJAMAと匹敵する影響力をもつニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)の日本語抄録のページには,最近「商売道具」という一文が掲載されていました。
 “私たちの分野がいかに合理化され効率の最大化を迫られようとも,超えることのできない境界がある。医療ではつねに一つの部屋に一人の患者と一人の医師が一緒にいてもっとも基本的なコミュニケーションの方法,すなわち手の接触< てあて >を通してつながるということである。息つく間もない革新の時代にあってこの方法は時代遅れもいいところである。しかし医療は,決してこの一点を超えて自動化できるものではない"
 このようなコラムから得られることは,「知恵」の伝承といってもいいのかもしれません。そして経験豊富な医師,看護師たちの「知恵」は,身につける過程にどれだけ困難でかつ苦労を伴うものであるかを,このコラムの物語から読みとることができると思います。