ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

臨床看護2003年11月号 ほんのひととき 掲載
もう3年ほど前に,この「ほんのひととき」に取り上げた,『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』を覚えていらっしゃるでしょうか?
 著者のランス・アームストロングさんは1996年,25歳のときに精巣癌を発病しながらも,肺・脳転移を化学療法と手術で乗り切り,その後,自転車選手生活に復帰し,1999年からは今年までツール・ド・フランスでなんと5連覇しています。
 そしてこの本を外来でちょっと照れくさそうな表情をして私に薦めてくれた,T君がつい先日逝去しました。38歳の誕生日を迎えたばかりでした。
 1993年,28歳のときから10年間,化学療法を合計17クール,2度の後腹膜リンパ節郭清術を含めて合計4回の手術,さらに放射線療法。その長身で細身のからだで,ひとり淡々と感情の起伏をみせることなく,個室で静かにここまでよく耐えて続けたT君の姿,そして支え続けてこられたご両親とお兄さんの姿…。
 “「生きたい」「生きる」と心で強く思いまた苦痛,恐怖感が手術の前日にはなくなり自分のトライに満足でき,後は先生とスタッフに運に任せようと無心に近い状態だった事を思うと,人間の強さにいつも関心させられます"(1997年12月,T君の手紙)
 そして無事終わった手術翌朝に「朝,病室から射しこむ陽光が,今までよりもずっと輝いてまぶしかった」とお兄さんに話していたT君。
 “早いもので,運命を分けた手術から半年がすぎ,元気だった頃とは比べられませんが,通常勤務ができるまでに復帰できました…。今だに自分の存在がこうしてある事が,信じられません。正直の所,一度は諦めかけた運命,失った物も多く戸惑いも有りますが,あまりくよくよせずに前向きに考えていきたいと思います"(1995年7月,
T 君の手紙)
 社会復帰して,勤めの途中で背広姿で外来にくる姿を毎月みながら,もう大きな壁を越したと,T君も御家族もそして私もスタッフも信じていた時期もありました。
 “今月の20日を過ぎると,長かった闘病生活を終える手術から2年がたったことになります。今年も無事にすごせたことに感謝できそうです。
 しゃかりきに仕事をしていた自分が懐かしく感じます。ただ,いつも考えていることは自分が運がよくて助かったのには,理由があるはずだろうということです。まだ見つける事はできていませんが,ゆっくり行きたいとおもいます"(1996年12月,T君の手紙)
 “今はまだ平和な時間が当り前になってしまいのほほんと過ごしておりますが,たまに病院に行ったときに廊下で,頭にバンダナを巻いて,マスクをしている子供が車椅子で運ばれている様子を見かけると,力強さをすごく感じることがあります。そんなときいつも自分はそんなに平和にのほほんとしていて良いのかと思います。大それた事とは思いますが癌の苦痛を知っているからこそ,もうすこし若ければ自分が医者になってなんとかする事ができるのではないかなどと,たわいのない事を考えたりもします"(1997年12月,T君の手紙)
 10年間,主治医としての私を信頼し続けてくれたことに感謝したい気持ち,と同時に,もう少し,もうちょっとどうにかできれば,もっと長く看ていてあげられたのではないかという後悔の念がまだ心の中で渦まきながら,そして彼が私にこの本を薦めてくれた気持ちをつかもうと,この本とT君の手紙を読み返しています。

 “母が静かに入ってきて,僕の手を握った。僕には母の思いがわかった。こんな僕を見て,母親としてどれほどきずついているのかがわかった。母にとっては僕の小指の爪の最後の一つの細胞まで,すべてが自分の分身なのだ。僕が赤ん坊のころ,母は毎晩,僕の寝息を数えていた。母には,息子がこんなにつらい目に合わせたことで,自分を責めていた"(本書より,脳転移の手術の後で)