贅沢な読書

贅沢な読書

贅沢な読書

臨床看護2003年9月号 ほんのひととき 掲載
“本と自分の間に,いかに関係を築くかということ。娯楽や,勉強といった目的にとらわれない,人生にとって不可欠な部分として,読書をとらえていただきたいのです。みなさんの人生の地図の中に,はっきりと,大きく,書物の存在を書き込んでいただきたい。その関係の作り方,絆の結び方こそが,本書の目的なのです"(まえがきより)

 今年もまた,つい先日,病院の帰りがけに立ち寄った本屋でいい本に出会いました。なんら変哲もない装丁に『贅沢な読書』と書かれたこの本に目がとまったのは,著者が福田和也さんだったからかもしれません。
 2年前に『作者の値打ち』という本で,日本の小説家に厳しい点数づけをした辛口の文芸評論家というイメージのある福田さんが,まるでほろ酔い気分で書いたような,柔らかい語り口の意外さに,まず興味を持ちました。
“ヨーロッパへの航空機,食事が一段落した後にポート・ワインを舐めながらヘンリー・ジェームズを読む楽しみから,夏の午後に陽光の下で佐藤春夫の詩について論じあう楽しみまで,かっちりとした文学論から,スノッブな愉悦まで,人生の楽しみの大半を,書物とともに過ごすすべをお教えしましょう"(本書より)という言葉に引き込まれました。
 “『作家の値打ち』が「なにを読むか」という疑問に答えた書物だとすると,本書は「どう読むか」に答えた本です。最高の文章ばかりを集めて,その味わい方を,知っていただくための本です"という,福田さんが最初に取り上げた本がヘミングウェイの若き日,パリでの修業時代を最晩年に書き留めた印象記『移動祝祭日』です。
 この本を私は5年前の映画『シティ・オブ・エンジェル』で,初めて知りました。手術で患者を亡くし,悲嘆にくれている心臓外科医(メグ・ライアン)を,黒服をまとったエンジェル(ニコラス・ケイジ)が慰めようと,図書館で読んで聴かせたのが『移動祝祭日』の次の一節でした。
 “牡蠣は強い海のにおいとかすかな金属の味がしたが,冷たい白ぶどう酒はそれを洗い流して,あとにただ海の味と汁気を残した。私はその牡蠣を食べ,一つ一つの貝殻から冷たい汁を飲み,さわやかな味のぶどう酒で,それを流し込んだ。そうしていると空虚な感じが消えて,愉しくなって,これからの計画を立て始めた"
 福田さんもこの一節を取り上げて“この文章は非常にシンプルなもので,食卓での行為を一つずつ記していっただけなのに,この単純さが,いわば神話的な重みをもって迫ってくるのは,なぜでしょうか。そこには,日常の反復の中で,埋没し,意識されなくなった行為を,改めて一つ一つ,新鮮なものとして認識をする,緊張度の高い意識が,まずあります"と述べているのを読んで,今まで漠然と印象に残っていたことが,本を読むことのもっとも贅沢な部分であると思いました。
 旅に出るときに本を選び,そして読む楽しみを,私もこの連載のなかで今まで繰り返し書いてきました。本書でも「旅行のための本選び」という章で,その点にふれています。“名作といわれるほどの作品は,その土地,その街や文化,気風,雰囲気などをきわめて的確に切り取り,定着させているからです。本というものはある意味で,旅の道連れのようなものですね。このような出会いこそが,旅をしたり,知らない土地にでかけたりする,もっとも贅沢な楽しみだと思っています"
 私たちの生きている言霊(ことだま)の世界で,いい本と出会うことの贅沢・享楽を得るための道具立てを本書は教えてくれているようです。

 “文化的,文芸的な一貫性の中で今も私たちが生きているということ,それを知識としてではなく,実感として識るということは,一番贅沢なものだと思っています。贅沢というのは,それが生きているということそれ自体に幅と厚みをもたらし,またそれを人に伝えることが出来るからです"(本書「よみたくなる古典」より)