生体肝移植;京大チームの挑戦
- 作者: 後藤正治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/09/20
- メディア: 新書
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“あとで人からは勇気があるねとか凄いねと言われました。でも私に勇気があったわけじゃない。ただ,なすすべもなく苦しみながら子供が死んでいく。その辛さから私自身が逃れたかったんだと思うんです…"(本書より,ドナーとなった母親の言葉)
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年に1〜2度,たまたま書店で眼にとまり,パラパラと2〜3ページ立ち読みしているうちに惹きつけられてしまう,ふしぎな魅力というか引力が働いている本に出会えることがあります。そして読みながら心ゆさぶられ,日常の臨床に携わる自らの姿勢を質したくなるような本。今年はつい先日,そんな本に出会うことができました。
本書は,京都大学医学部第二外科(1995年からは移植外科の田中紘一教授チーム)での生体肝移植の12年間の歩みを描いた医療ドキュメントです。著者の後藤正治さんは京都大学農学部出身のノンフィクション作家で,心臓移植を待ちながら亡くなった日本人女性とアメリカ人女性の交流を描いた『ふたつの生命』や,移植外科の取材の集大成として『甦る鼓動』(いずれも岩波書店刊)などの著書があります。
後藤さんは今回,生体肝移植を取り上げた理由を「あとがき」で次のように述べています。
“死に瀕した一人の患者を他者からの自主的な申し出があった場合,その臓器を使うことによって救わんとする。それが生体肝移植の原点である。そして生者である他者の命を脅かすことは決してあってはならない。それがもう一つの原点である。(中略)この治療手段はいつも際どい崖っぷちに立っている。さらに,生者からの臓器提供は,たとえ家族とはいえ際どく切ない問題を含んでいる。このような宿命的な困難を抱えた移植外科の歩みの一端を伝えようとしたのが本書である"(本書あとがきより)
本書は,12年間にわたって京都大学の医師にとどまらず,移植チームを支える看護師,コーディネーター,そして欧米の移植医や学会の取材,手術室での移植手術の実際,病棟での術後合併症や免疫抑制療法の副作用による患者の容態の急変,それを幾月にもわたって看病する家族,さらには退院後の患者家族の家庭をまさに全国津々浦々まで訪ねてのインタビューなど,膨大な資料と情報を基に書かれています。淡々とした記述で,しかも実名で綴られたその内容は,新書というコンパクトな本でありながら叙事詩的な輝きさえ感じさせられます。
とくに,生体肝移植を受けながらも亡くなられた二人の先天性胆道閉鎖症のお子さんの手術に至るまでの経過と手術,そして術後経過,さらには亡くなられたあとの家族へのインタビューは,読むたびに胸にこみ上げてくるものがあります。
“手術にいい思い出はないのですが,あの手術室の前にあるソファーに座っていたときは乏しいながらも希望があった。きっとそのときの時間帯のなかに身を置きたかったのでしょうね…あのような体験を通してはじめて,私は良美の母親になれたのだと思います。そのことに感謝しています"(ドナーとなった母親へのインタビューより;肝移植を受けたのは当時8歳の長女の良美さん。術後ずっと容態が悪く,7カ月後に亡くなっている)
子どもを亡くした母親をその家庭に訪ねて面談に行き,それを綴ることの自省を後藤さんは次のように述べています。
“不意に訪れた客は去った。過ぎ去ったことを他者に語ったところでせんなきことではある。ただ,語ることは,わずかであれ,癒すはたらきをもつ。だた,自分たちの想いがどれほど伝わっただろうか…"
ドキュメントという一つのメディアが,医療の現実と夢をさらに育んでいく一助となる過程を本書にみることができたと思います。
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“重箱の隅をつつく医療報道や,臨床から遠く離れた形而上学を説く識者の論とはかかわりなく,死に瀕した患者を抱える家族たちこそもっともよく知っていたのだ。命を救おうとすれば他に治療手段はなく,生体肝移植はリスクはあってもなお成功の可能性もおおいにあるということを"(本書より)