平心庵日記:失われた日本人の心と矜持

平心庵日記―失われた日本人の心と矜恃 (文芸シリーズ)

平心庵日記―失われた日本人の心と矜恃 (文芸シリーズ)

臨床看護2002年11月号 ほんのひととき 掲載
“寂びとは人間の垢が清められた姿で,侘びとは過去の罪劫を神仏にわびる心から始まる。真の茶はこれに向かっての精神である"(本書より)

 本書は明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と,主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を大正13年から昭和初期までの平心庵日記をもとに,平心庵の長男である近藤道生さんが描いた本です。
 「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者でありながら,あくまでも影の存在に徹した。隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は,現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と,日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった」という書評に魅かれて買い求めました。
 平心庵・近藤外巻先生は,九州大学出身の外科医であり大正12年総合医療の志の遂げられぬ組織の中での歯がゆさとから,転地療養もかねて小田原に移住して医院を開き,女子修養塾として月影塾を設け,その塾生を看護婦兼務としたそうです。日記の一節にはその日常が次のように書かれています。
 “大正14年6月8日
 五時半起床 便所掃除 朝礼。朝食。文学史万葉の歌例のところ講義。外来患者60人許。益田大人より朝 お使ひあり。四時半頃自動車のお迎へいただき五時頃行く。わびたる田舎家風の寄り付き。為楽庵にて初座。敦盛草とえぞまんてんの花の下にて懐石。後座 大燈国師の手紙,茶碗ととや 濃茶銘 松の華…"
 真摯な開業医としの生き方が淡々とした日記のなかに彷彿し,さらにその日記をもとに,当時まだ年少であった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がこれまた静かに語られています。
 “「ひとりでも多くのひと様のお役に立つ」という亡母の教えを平心庵は生涯遵守し,その理想に殉じて日夜,寸暇を惜しんで働き続ける"という近藤外巻先生の医者としての姿があり,さらに,
 “竹影階を掃らうも 塵動かず
 月輪沼を穿つも 水に痕無し
 (風に吹かれた竹の影が階の上をまるで掃くよう揺れ動く。しかしもちろん塵は立たない。月の光が沼の底まで突き通るように差し込んでいるが,水に痕跡は残らない。心の持ち方もこのように平らかで,自在でありたい)"
 という心の持ち方が描かれています。医師としての生き方の大先達という感慨をもちました。
 本書を読みながらオランダの史家,ヨハン・ホイジンガの書いた「人間の3つの生き方」を思い出しました。
 “より美しい世界を求める願いはいつもの時代にも,遠い目標をめざして三つの道を見出だしてきた。第1の道は世界の外に通じる俗世放棄の道である。第2の道は世界そのものの改良と完成をめざす道である。
 第3の道はそのまんなかにあって,せめては,見かけの美しさで生活を彩ろう,明るい空想の夢の国に遊ぼう,理想の魅力によって現実を中和しようという,生き方である。
 この第3の道ははたして現実からの逃避だろうか? ただ空想の世界だけに至る道だろうか? いや,そうではない。それは現実とのかかわりをもたぬということではなく,この世の生活を芸術の形に作りかえることであり,生活そのものを美をもって高め,社会そのものを遊びとかたちとで満たそうとするものである"(『中世の秋』より)
 この第3の道の生き方を体現した鈍翁と平心庵の姿は,副題にある「日本人の心と矜持」をもったまさに文人だと思います。
 さらに“北に丹沢という衝立を背負い,西から南にかけて箱根,伊豆の山々に取り囲まれ,その上黒潮に洗われて,気候はこのうえもなく温順である小田原の街"の豊かな自然が,平心庵日記の背景として描かれていることも本書の魅力です。

 “打ちよせる潮の恵みの厚ければ 冬も梅咲く小田原の里"(鈍翁)