一色一生

一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

臨床看護2002年4月号 ほんのひととき 掲載
“工芸の場合,まずよい素材を得ることがもっとも肝心なことであり,根元となる部分の仕事,繭から糸を紡ぎ糸染をする…ちょうど大地に種子を蒔き,芽の生える頃が最も心踊る作業であるように,私の場合も植物の花,樹皮,実,根などを炊き出して染液を作り,糸を染めるその段階が一ばん面白いのである。実にさまざまな色が染まるというより植物染料にかぎっては生まれるという方が適切であるかも知れない。すでに自然がそこに準備し,貯えておいたものを導き出す手伝いをしているようにも思われる"(本書より)

 著者の志村ふくみさんは染織家で,平成2年(1990年)に人間国宝にもなった方です。たまたま新聞の日曜版文芸欄で読んだ志村さんの文章にひかれて,昭和58年(1983年)に大佛次郎賞を受賞したエッセイ集『一色一生』を買い求めました。
 “工芸の仕事はひたすら『運・根・鈍』につきると民芸運動柳宗悦先生にいわれました。『運』は自分にはこれしか道がないと思い込むようなもの。『根』は粘り強く一つのことを繰り返し繰り返しやること。そして『鈍』とは,材質を通しての表現である工芸は,絵や文章のように,じかの思いをぶちまけて表現するものを鋭角とすれば,物を通しての表現であるから,『鈍』な仕事なのだ。しかしそこにはまた安らぎがある"(本書より)
 いままで,工芸・染織といった分野にまったく無縁の私でさえも,このエッセイ集からは志村さんの「じかの思い」が伝わってくるようでした。
 “かめのぞき,水浅黄,浅黄,縹,花紺,紺,濃紺と,藍は甕をくぐらせる度数によって,徐々に深さを増します。その移りゆく濃淡の美しさは水際の透明な水浅黄から,深海の濃紺まで,海と空,そのものです。あの蓼藍(たであい)という植物からよくぞ人々はこれほどの自然の恵みを引き出したものです"という色彩を語る言葉の透明感のある美しさは,本書の魅力です。
 この本を読みながら,詩人の長田弘さんの言葉を思い出しました。“ふだんのわたくしたちのことばから,自然について語る語彙,ヴォキャブラリーがどんどん減っているのではないかと疑われるのです。…ことばのもたらすイメージの喚起力が,弱まってきていることも事実です。というのも,日本語の漢字はわたしたちの中に連想する力をふんだんに育ててきたけれども,カタカナのことばはことばの地下茎がもともと断ち切られてしまうため,なかなかそうはゆかず,ことばによる連想の力,イメージをゆたかにつらねてゆく力をどうしても殺いでしまいやすいです"(『すべてきみに宛てた手紙』より)
 ちょうど本書を読んでいた昨年秋には,『たまゆらの道』(志村ふくみ・洋子,世界文化社)が刊行されました。志村母娘の随筆と,染織という作業を撮った美しい写真をみると,日本の工芸という芸術を,いままで私は知らずに見落してきていたんだ,という気持ちになりました。
 『一色一生』の巻頭に書かれた“芸術と人生と自然の原点にたたずんで思いめぐらす深い思索といのちの炎を,詩的に細やかに語るエッセイ"という紹介どおりの美しい本に出会えたと思っています。

 “蘇芳(すほう)の赤,紅花の赤,茜の朱,この三つの色は,それぞれ女というものを微妙に表現しているようです。蘇芳はインド,マレーシアで産する蘇芳という木の芯材です。媒染によって,赤,燕脂,葡萄,紫,といくとおりにも変化し,少しの変化にも敏感で,危険をはらんでいます。蘇芳は魔性だと思います。それだけに,ただならず魅惑的です。花弁ばかりをあつめて染める紅花は,移ろいやすく,陽の光りをうけると,すっと色がにげてしまいます。
 茜という草の根はうすい紅色をしていますが,その根を煎じて染めるのです。茜はしっかり大地に根をはった女の色です。生きる智慧をもった女の赤です。
 蘇芳が情ならば,茜は知でしょうか"(本書より)