敗北を抱きしめて(上・下);第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人

臨床看護2001年10月号 ほんのひととき 掲載
“「日本文化」だとか,「日本の伝統」だとか,そういうものは実際には存在しないのです。実をいうと「日本」でさえ存在しません。逆に私たちが語らなければならないのは,「日本の文化たちJapanese cultures」であり,「日本の伝統たちJapanese traditions」なのです。私たちは「日本たちJapans」と言うべきなのです。そのほうが日本の歴史の事実に近いし,今日の日本の実状にも近い。そう表現することによって,日本を世界の中で比較することができ,本当に目の覚めるような日本理解が可能になる"(本書より)

 毎年8月には,広島・長崎の原爆慰霊祭,そして終戦記念日がニュースでとりあげられ,戦争体験が数多く語られます。とくにまた今年は,小泉総理の靖国神社参拝の是非や中学歴史教科書検定にかかわる中国・韓国からの日本近代史の記述批判が大きく報道されました。そのたびに,どこか腑に落ちないものを感じていたときに,アメリカの歴史学者であるジョン・ダワーさんの本書を買い求めました。
 副題に「第二次大戦後の日本人」とあるように,1945年8月15日から約5年間のアメリカ軍占領期を描いたノンフィクションであり,1999年アメリカで刊行されてピュリッツァー賞をはじめとして,さまざまな賞を得ています。文献注釈約100頁を含む上下巻あわせて900頁の大著で,歴史書としても認められているほどの内容をもっています。
 上巻では,終戦直後の混乱期,当時の新聞,雑誌さらには漫画ポスターに至るまで丹念に取材して,当時の日本社会と私たちの両親あるいは祖父母にあたる世代がどのようにこの時期を生きた抜いたかをいきいきと描いています。
 “吉田茂のような有名人だけでなく,日本社会のあらゆる階層の人々が敗北の苦難と再出発の好機の中で経験したこと,そして彼らがあげた「声」を,私はできる限り聞き取るように努力した。(中略)それが終わったときに,私はある事実に深く心を打たれた。悲しみと苦しみのただ中にありながら,なんと多くの日本人が「平和」と「民主主義」の理想を真剣に考えていたことか!"(本書より)
というダワーさんの穏やかな基本的観点から,「敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)」という題名がつけられた経緯が,次のように述べられています。
 “日本は,世界に数ある敗北の中で最も苦しい敗北を経験したが,それは同時に自己改革のまたとないチャンスに恵まれたということでもあった。戦勝国アメリカが占領の初期に改革を強要したからだけでなく,アメリカ人が奏でる間奏曲を好機と捉えた多くの日本人が,自分自身の変革の筋立てをみずから前進させたからである。多くの理由から日本人は「敗北を抱きしめ」たのだ。
 なぜなら,敗北は死と破壊を終わらせてくれた。そして敗北は,より抑圧の少ない,より戦争の重圧から自由な環境で再出発するための,本当の可能性をもたらしてくれたからである"
 私は昭和30年代の高度成長時代に生まれ育ちました。その私が生まれる以前の両親・祖父母たちがまだ若かった時代に起きた出来事を,いわば自分がその年代になった大人の目で振り返り,改めて見つめ直したいという思いがあったときに本書に出会え,そして傍らを通り過ぎていった出来事の歴史的な重要性をダワーさんによって教えられたような気がしています。

 “新しい世紀において,自分たちの国は何を目標とし,何を理想として抱きしめるべきか。今日の日本の人がそう自問するとすれば,それはあの恐ろしい戦争の後,あのめったにないほど流動的で,理想に燃えた平和の瞬間であり,それこそもっとも重みのある歴史の瞬間として振り返るべきものではないだろうか。私は,そう考える"(本書より)