『来年があるさ』

来年があるさ

来年があるさ

臨床看護2001年4月号 ほんのひととき 掲載
“私はこの年の10月,初めて思い知った。ドジャーズファンがうわごとのようにくりかえす単純なスローガンには,痛みと虚勢と祈りがこめられていることを。そのスローガンとは,『来年があるさ(Wait Till Next Year)』"

 毎年4月になると,春の訪れとともにアメリカでは大リーグ,日本でもプロ野球が開幕します。とくに野茂投手がロサンゼルス・ドジャーズで大活躍して以来,多くの日本人選手が大リーグでプレーし,野球ファンならずとも大リーグの話題を耳にすることが多くなりました。
 本書はアメリカ野球の黄金時代の1950年代に,そのドジャーズがニューヨーク郊外のブルックリンを本拠地にしていた時期にブルックリン・ドジャーズのファンとして成長期をすごした,ひとりの少女の物語です。
 表紙の装丁にも,バックネットのスタンドからこぶしを振り上げて声援を送っている少女の絵が描かれています。この少女,すなわち著者のグッドウィンさんは実は歴史学者で,大統領や政治家の自伝でピュリッツァー賞歴史部門賞を受賞した経歴をもっています。大リーグ球史のドキュメンタリー映画のなかで,熱狂的な女性ファンとしてインタビューに答えたことがきっかけになって書かれたのが本書です。翻訳は『週刊ベースボール』に連載されて,書店でもスポーツ関連の棚におかれているので,てっきり大リーグだけの本と思われるかもしれません。
 土壇場でリーグ優勝を逃してしまい,毎年のようにファンに地団太を踏ませ,そして「デム・バムズ(バカなやつら)」というニックネームで呼ばれても,それでも愛さずにいられない,そんなドジャーズがワールドチャンピオンに輝くまでの展開は,ドジャーズの球史だけとしてもドラマチックな醍醐味を味わうことができます。
 “私が,ブルックリン・ドジャーズを熱愛した子供時代について語ったときに,その反響には目を見張った。人々は思い出を分かち合おうと,嬉々として身を乗り出してくる。彼らが思い起こしているのは,単にひいきのチームやスポーツ集団の歴史ではなく,自分の若かりし日々の思い出のようだ。昔の自分の姿,若くて溌溂としていたころの自分自身の姿が,まざまざとよみがえってくるからだろう"
 しかし,この本の魅力は球史にとどまりません。苦労して銀行員になった父親と一緒に,ラジオから流れるドジャーズの試合中継を小さな赤いスコアブックに記録したおかげで培われたグッドウィンさんのストーリーテラーとしての能力が,大リーグ野球史,アメリカ史,自分史という,まったく異なる三分野をさらりとまとめあげる筆力につながっているのでしょう。
 “野球物語を書くつもりが,1950年代の私自身の成長記録を書くことになった。郊外居住志向の国に変わり隣人たちの家族が次々に増えて,テレビはまだ産声をあげたばかり,道路は子供たちの遊び場で,人生になんの不安もない時代だった。やがて小児麻痺(ポリオ),共産主義原子爆弾などの恐怖が子供たちの頭上に暗雲のごとくたちこめるまでは…"
 さらに自分史とくに家族の歴史,父親との野球を媒介とした交流,病弱な母親の看病,看護婦になった姉二人の成長などが,歴史学者としての淡々とした描写のなかにも心暖まる読後感をもたらしてくれます。

 “スタジアムへ通じるトンネル状の通路を歩きながら,父は私に予告した。「いいかい,もうすぐ世界一きれいなものが見えてくるぞ」その言葉が終わるか終わらないうちに,ホントだ,見えてきた! 赤茶色のダイヤモンドと,信じられないほどきれいなグリーンの芝生と空席など一つもなさそうな超満員のスタンド。しかしなによりも私の記憶に焼き付いているのは,スコアブックを膝に乗せて,父と肩を並べて,エベッツ・フィールドに生まれて初めてすわった,あのえもいわれぬ感触だ"