『日本の歴史00 「日本」とは何か』

日本とは何か  日本の歴史〈00〉

日本とは何か 日本の歴史〈00〉

臨床看護2001年3月号 ほんのひととき 掲載
“当り前と思われることを「奇観」つまり不思議だと見る眼。独創的な思想家はたいていそういう眼をもっています。何か珍奇なものをみつけるということではなく,すべての人が日常的に見ていることを,ちがった眼で見て「オヤ,おかしいじゃないか」と感じる。それは対象の問題でなくて,見る側の眼の問題で,そこに独創性というものが生まれるのです。"(丸山真男:『文明論之概略を読む』より)

 網野善彦さんは,日本中世の民衆史,海民史を専門とする歴史学者であり,本書は,網野さんが編集委員となって昨年秋より講談社から刊行され始めた『日本の歴史 全26巻』のプロローグとして書かれた本です。
 以前から網野さんは,「百姓は農民ではない」という“常識"をくつがえす言葉で,百姓とはいかなる身分の人々であったか,職人とは,特定の職能によって生きた人々の社会の中での在り方はいかなるものだったかを,さまざまな啓蒙書を通じて描いています。
 数年前に大ヒットした映画『もののけ姫』の劇場ガイドブックのなかで,原作者の宮崎駿さんと網野さんが対談していたのをお読みになった方もいると思います。映画の舞台として取り上げられた踏鞴(たたら)吹き和鉄製錬場で働く女性たちなども,網野さんのいう日本中世の職能民の姿です。
 本書では,“国名「日本」は,いつ決まったのか? 日本は島国で,百姓はみな農民だったのか?"という疑問を提示して,これまでの国家像・国民像を検証し直し,東アジアに開かれた列島の多様性を描いています。
 “日本は周囲から海で隔てられ,孤立した「島国」であり,そうした閉じられた世界で長期間にわたって生活してきたがゆえに,日本人は均質・単一な民族となったので,他民族からはたやすく理解され難い独自の文化を育てる反面,「島国根性」といわれるような閉鎖性を身につけるようになったという「常識」も,いつごろからか,日本人に深く浸透している。なぜ,こうした「常識」が日本人にかくも深く浸透したかを考えることも,当面の大きな課題である。それは,海を視点において人類の歴史を考え直すという,現在注目されはじめている問題にも応えることになる。"
 本書の口絵には,富山県が作製した「環日本海諸国図」が大きく掲げられています。ふだんみる日本地図をひっくり返して見たこの地図の印象はまことに新鮮で,弧状をなす日本列島とは,まったく異なったイメージを受け取ることができます。
 “サハリンと大陸の間が結氷すれば歩いて渡れるほど狭いことや,対馬朝鮮半島の間の狭さを視覚的に確認できる。そして日本列島,南西諸島のアジア大陸の北方と南方をむすぶ巨大な懸け橋としての役割が非常にはっきりと浮かび上がる。とくに「日本海」はかつて陸続きだった列島とアジア大陸に抱かれた湖のころの面影を地図の上に鮮やかにとどめている。"
 日本の歴史をみる眼が従来の学校教育や学界の“常識"で画一化されていたことを打ち破る大きな動きによって,偏りなく社会とその歴史をとらえることが,現在,私たちがどこにいるのかを正確に認識することにつながるという,網野さんの強いメッセージを本書から受け取ることができると思います。

 “この弧状をなす列島の民族史をめぐって,いま,再審のときが訪れようとしている。列島の歴史や文化にかかわる,多様な知の領域において,巨大な地殻変動が起こりつつある。いまだ,その変動のありようを,さだかに語ることはむずかしい。しかし,胎動はたしかに聴こえてくる。やがてこの知の地殻変動はだれの眼にもあきらかなものとなる。この列島の,縄文以来の民族史的景観にたいして,「ひとつの日本」というフィルターを自明にかぶせてゆく歴史認識の作法は,すでに破綻している。"(赤坂憲雄著 『東西/南北考:いくつもの日本へ』岩波新書より)