日本国債

日本国債〈上〉

日本国債〈上〉

臨床看護2001年5月号 ほんのひととき 掲載
“米国スタンダード・アンド・プアーズの日本国債格下げ発表をうけた金融市場は落ち着いた動きに終始した。日本銀行による金融緩和を見込んだ買いが優勢になったことから安心感が広がり,債権価格は上昇(利回りは低下)した。株式市場が不安定で民間の資金需要も弱いという背景もある(平成13年2月24日,朝日新聞より)"

 作者の幸田真音さんは,米国系投資銀行や証券会社で日本国債のトレーダーや大手金融法人を担当する外国国債のセールスの経歴をもち,1995年に,その経験を活かした経済小説『回避ザ・ヘッジ』で作家デビューしました。本書は幸田さんの第2作で,「国民にとって重大関心事でありながら,得体のしれない国債(国の借金)をテーマにした,スリルとサスペンスに富んだ経済小説で卓越した構想力と取材力を駆使している」という新聞の書評につられて買い求めました。
 本書は,以前この連載で紹介した『三本の矢』(第24巻第11号,1998年10月号)とよく似た構想です。すなわち,『三本の矢』は大蔵官僚を主人公とした政治経済サスペンスで,日本が今かかえる危機を解析するシミュレーション小説でした。そして,組織のなかにあって個人としての良識・判断・理想と,国家・企業組織の論理との対立と調和,そして挫折を軸にしていました。
 その後も金融機関の不祥事は枚挙にいとまがなく,金融当局や官僚の腐敗が叫ばれ,警官の堕落が報じられ,各方面で思いもしない組織の影の部分が浮かび上がるという構図には変化がなく,さらに政治家の無力さについても嘆かれ続けているのも,ご存じのとおりです。
 “この国の資金調達は薄氷の上に成り立っているんだ。いつその氷が割れても不思議ではない。まるで薄氷の上にそれと知りながら立っていたようなものだ。いや,気づいていながらその事実に目を背け,そのうち感覚が麻痺して座り込んでしまった。ここには変わりたくない人間が多すぎる。前例踏襲,守旧信仰。前を行く先輩の背中を見て,その足跡どおりに歩くことこそ最善と思う人間が多すぎる"(本書より)
 国債のトレーダーとして働いていた幸田さんのこうした思いが,本書を書く大きな動機になっているようです。
 “国債は国の借金です。その借金をわれわれ国民が担わなくて,誰に担わすんです。この国を一番心配しているのは,この国に住んでいて,これからもずっと住み続けていかなければならない国民でしょう。その国民が,この国の借金に協力できないとしたら,そこにこそ問題があるとお考えになりませんか。そしてその現状こそ打開すべきだと思われませんか"という正論に対して,“いや,我慢している日本人のほうが馬鹿なんだ。何も考えてないんですよ。ただ従順に言うことをきいているだけです。誰も本当のことを見ようとしない"という反論をぶつけながら,いまの日本経済の危機について理解を深める啓蒙的な工夫もされています。
 「毎月発行される国債額はなんと1兆円」と言われても,他人事のように思っていましたし,日本国債格下げという記事を読んでも日常生活にどう影響するのか想像もできなかったことが,本書を読んでからは少し身近に感じられるようになりました。
 もう一つの読み方として,ここに描かれている国債問題・財政危機を,多額の赤字をかかえる医療保険制度に読みかえてみるのも面白いと思います。今後の超高齢化社会と医療費高騰による現存の医療社会保険システム,あるいは年金制度が破綻に直面している危機に目をそらさずに,その現状と将来を強く憂える人がどれだけ行政や医師会,医学界にいるのか,という疑問がわいてくると思います。

 “裏を返せば,誰も自分の域を越えようとしたがらんのと違いますか。誰も進んでリスクをとろうとは決してしない。なんとか責任のがれをして,自分の限られたテリトリーだけに徹しようとするんですわ"(本書より)