粘菌 その驚くべき知性

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

臨床看護2011年3月号 ほんのひととき 掲載
“猫楠(ねこぐす) 「粘菌っていったいなんだ」
熊楠 「粘菌は動植物ともつかぬ奇態な生物や。英国の学者なぞは宇宙からきたお方じゃないかというとる」
猫楠 「へえ− なんでそんなもの観察するんだ」
熊楠 「生死の現象、霊魂の研究にはもってこいの材料や…」
猫楠 「するとおめえ“研究”ということに名をかりた“学問の遊び人”だな…」”
水木しげる著 漫画「猫楠」より)

昨年はノーベル化学賞を日本人科学者2名が受賞して、基礎科学研究の重要性がニュースでもたびたび報道されました。
もうひとつの「ノーベル賞」である、「イグ・ノーベル賞」をご存知の方も多いと思います。  「人びとを笑わせ、そして考えさせる研究」を対象に、独創的な研究を行ったり、珍しい社会的事件などを起こした個人や団体に贈られる賞です。1991年創設され、ノーベル賞のパロディー版も意識しているそうです。
日本人では、カラオケの発明で知られる井上大佑さんが2004年に「お互いを寛大に許し合う、まったく新しい方法を提供した」として平和賞、2005年に発明家のドクター中松こと中松義郎さんが「34年間にわたり、自分の食事を撮影し、分析した」として栄養学賞を受けました。
2009年には、北里大学名誉教授の田口文章先生がパンダの糞の研究で生物学賞を受賞しました。受賞後、神奈川県内で開催された講演会で、田口先生のお話を伺う機会がありました。田口先生らは、消化しにくいササを主食にするパンダに目をつけ、上野動物園からパンダのフンをもらい受けて有用な菌を分離し、生ゴミを分解して減量できることを実証しました。
今回ご紹介する「粘菌」は、2008年にイグ・ノーベル賞認知科学賞を受賞した、公立はこだて未来大学システム情報科学教授の中込先生の本です。
単細胞で脳も神経もなく、大きさも性別も、生物学上の分類さえも融通無碍(ゆうずうむげ)な生物である粘菌が、人間でも難しい迷路のパズルを解く、これがイグ・ノーベル賞認識科学賞を受けた中垣さんらの発見です。
認知科学とは、概して人間や高等動物を対象とした学問分野で、かなり心理学に近いものです。私たちの受賞理由は、「単細胞生物である粘菌が迷路やその他のパズルを解く能力があることを証明したこと」です。(中略)原始的ではあるが、知性の芽生えではないか」と主張してきました。ただ、発見しただけでなく、どのようにして解いているかという仕組みも提案していることを強調したいと思います”(本書 まえがきより)
私が「粘菌」についてはじめて興味を持ったのは、明治の博物学者・民俗学者であった南方熊楠(みなかた・くまぐす)(1867−1941)の評伝である『縛られた巨人』(神坂次郎著)を以前に読んでからです。ずばぬけた「知性」をもった熊楠は、当時の粘菌研究で数多くの新種を発見しました。冒頭に紹介した、『猫楠』(角川文庫)は、「げげの女房」の夫である水木さんが描いた熊楠の漫画の一節です。
中込先生も、「なぜ粘菌を研究するのか?」という質問に、水木さんと同様のこの一節に同感と書評欄で述べていました。生物学の授業でとりあげたら、きっと興味を持つ若者も多いと思われる本書の内容には、遊び心も随所に織り込まれています。ちなみにNHKテレビ「爆笑問題のニッポンの教養」にも「単細胞は天才なのだ」(2009年12月)という番組タイトルで出演したことがあるそうです。
以前この欄で紹介した、『喜嶋先生の静かな時間』を読んだときと同じような刺激(“他人と考えが違うことや他人の目が気にならなくなります。なにか夢中になれるものをみつけたくなります”)が、中込先生の研究姿勢に感じられます。読み終えると、医学部や看護学部で習う生物学、あるいは感染症とのかかわりで学ぶ細菌学・ウイルス学とはまったく違う世界が広がっている面白さが、この新書には満載されていると思います。