「文明論之概略」を読む

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

臨床看護1997年4月号 ほんのひととき 掲載
「古典を読み、古典から学ぶことの意味は、少なくとも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。隔離というのはそれ自体が積極的な努力であって、逃避ではありません。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによってまさにその現代の全体像を距離を置いて観察する眼を養うことができます。」

丸山真男氏は政治思想史の学者であり、昨年(1996年)8月に肝臓がんのために82歳で亡くなりました。新聞でも社会面で逝去の記事が大きく載っていましたが、たぶんあまりなじみのない方も多いかと思います。私は高校時代に歴史、政経の担任が授業で取り上げた丸山氏の『日本の思想』という岩波新書がきっかけで、多くの著述を読む機会がありました。もし高校時代に興味を持たなかったら、丸山氏のことは知らずにいたかもしれません。
今回紹介する『「文明論之概略」を読む』は1987年に岩波新書から上中下の3分冊で出版された本です。ちょうど私自身2年間のアメリカ留学から帰ってきたときで、日本語の本に飢えていて本屋の店頭を歩き回っていたときに、新書の新刊コーナーに置かれていました。
帯に「福澤諭吉との対話 丸山真男氏とともに」と大きく書かれていたので目に留まったのだと思います。東大の政治学教授であった丸山氏が、「慶応義塾創始者でもある福澤諭吉の精神的気力と思索力がもっとも充実していた時期に書かれた最高傑作のひとつであり、時代を超えて今日なおその思想的衝撃力を失わない」とまえがきに書いていたことがとっても意外に思えて読み始めました。
それまで慶應大学に学び、慶應の医局にいながら、『学問のすすめ』『福翁自伝』の一部を高校の教科書で読んだことしかなかなく、ましてや『文明論之概略』がどんなほんであるかまったく知らなかっただけに私にとってもその「衝撃力」はかなり痛烈でした。さらにちょうど留学で自分なりにアメリカでの見聞を広めてきて「文明・文化の多様性」に興味を持っていたこともより一層影響していたと思います。
この『「文明論之概略』が書かれた時代は、五輪五常といった伝統的な範疇の権威が音を立てて崩れ、その上に雑多で異質な西洋文明の侵入に急激にさらされている明治維新直後の時代です。日本の文明文化歴史の特殊性を踏まえながら「欧米列強の圧力に抗してどうやって日本の独立を保つのかというのが福澤のナショナリズムの一貫したテーマで、そこから一身独立して一国独立するという命題について具体的な提案がなされています。
一読しただけではとてもとっつきにくく難解だと思います。しかしそのなかに丸山氏がわかりやすく今の日本の現況に合わせて解説している文章が多く散りばめられています。
「日本のマスコミや論壇は、トピックの集中性が強い場ほど、現代の流行語を十分な吟味なしに使って物事を論じています。そして過去を省みることもなく、今の瞬間ばかり見ている。ですから現在の状況の絶対化になってしまう。」
「情報―知識―知性―叡知、現代の情報社会の問題性はこのように底辺に叡知があり、頂点に情報が来る三角形の構造が、逆三角形になって、情報最大・叡知最小の形を成していることにあるのではないでしょうか。叡知と知性が知識にとって代わられ、知識がますます情報にとって代わられようとしています。『秀才バカ』というのは情報最大・叡知最小の人のことで、クイズには最も向いていますが、複雑な事態に対する判断力は最低です」

現在の大きな岐路にある日本のさまざまな状況、もちろん私たちが従事している医療をとりまく社会状況も含めて、その流れをより客観的に見る目と考え方を読むたびに教えてくれる本だと思います。