臨床看護2005年4月号 ほんのひととき 掲載
“たった1カ月半の入院が各人各様に,とことんの限度になってしまった。困却と苦悩,人手の足りなさがこんなにも易々と平和を奪う。逆にいえば今迄の平和は,こんなにも薄手の基盤の上に築かれていた,ということである。一人が病めばたちまちバランスが崩れるほど,丈夫でない基礎だったと,改めて知る思いがあった"(本書より)

 皆さんの家族が,あるいは大事な人がもし入院して手術を受けることになったときに,手術が終わるのを待つ間,そして術後にベッドサイドに付き添っている間に本を読むとしたら,どんな本を持っていくでしょうか?
 つい最近,私の家族が手術を受けることになり,病室にしばらく付き添いました。そのときに携えた数冊の本で,もっとも心を落ち着かせてくれたのが本書『闘』です。
 本書は幸田文さんが昭和40年に発表した作品で,武蔵野の自然に囲まれた結核療養所を舞台に四季の季節の流れの中でさまざまな患者と医者と看護師の姿を,淡々と細やかな文体で綴った小説です。
 私は医学部の学生だったころに初めて本書を読み,その後も卒業10年目に再読し,さらに9年前にこの欄の掲載を依頼されたときに,第1回目に取り上げるために再々読しました。
 そして今回,身内の闘病生活が始まるときに,まっさきに書棚からとり出しました。
 “病むということが,人の世に避けがたいことなら,誰かがそのみとりをすることになるのも,また避けられないことです。私も若いときから何度も家族の重い病気をみとりましたが,治って元気になってもらったのは一人だけ,不幸なことにあとは見送りました。そのたびに苦い思いをしました。そのせいか,病むということへはひとりでに心が寄ってきます"(本書あとがきより)
 すっきりと立ち坐り,まっすぐに生活や周りの人々に接する幸田さんの心映えが芯のしっかりとした作品に反映されていて,何度読み返してみても,新たな情感を醸し出し,勇気と知恵を与えてくれました。
 “生きていく上に役立つ知恵の授受がいくつあったのかということが,子が親に結ぶ長持ちする連結部分につながっていると,私の場合はいえます。
 知恵の受けわたしは愛よりずっとさばさばしているから,まだしも受け入れやすいし,後にはいつかそれが親子のつながりになる,そんなふうに思うのです。一生の役に立つこと,は強いのではないでしょうか"(幸田文『季節のかたみ』より)
 家族の看病を通じて,私自身が平静心を保とうとしながらもつい杞憂やら不安でおろおろとしているときに幸田さんから本書を通じての「知恵の受けわたし」が,気持ちを落ち着かせてくれました。
 “ほかのことでは相当に忍耐力のあるものが,なぜ看病には堪え性をなくすのか。患者も医者もひたすら願うのは,退院の日まで変ることのない暖かい家族の看護だが,そういうことはほんとに少ない。看病には,人を落ち着かせなくする毒がある"(本書より)
 いままで数多くの本を読んできて,自分が人生の岐路に立ったときやいざというときの心構え,心の拠り所ができていると私は思っていたのですが,そのときに頼りになる本というのは少ないものだと改めて感じています。
 心の避難袋のなかにいつも携えておきたい大事な本が,私にとっては幸田さんの本です。

 「人間は行き届かないことの多い生きものです。ある物,ある人が,自分にとってどんなにかけがえのない物であり人であったかに気づくのは,いつもかれらが知らぬ間に消えてしまったあと」(大岡信『ことのは草』より)