冷い夏、熱い夏

冷い夏、熱い夏 (新潮文庫)

冷い夏、熱い夏 (新潮文庫)

臨床看護2005年2月号 ほんのひととき 掲載
“弟はさらに執刀医の姓を口にし,「入院の手続きをしてくれたのに,断るのは失礼になるから,そのことを丁重に詫びて欲しいんだけど…」と言った。
 私は,丁重に…という言葉に,弟の執刀医にいだいている気持ちをのぞきみたように思った。生死にかかわる大きな手術を受けた患者は,自分の肉体にメスを加えた外科医に特殊な感情をひそかにいだいているのではないだろうか。肉体を無抵抗にゆだねた外科医との間に,他人同士ではないといった親密さと信頼感をいだく。弟は執刀医に礼を失しないようにと気づかっているが,その配慮は執刀医に対する親愛感のあらわれにちがいなかった"(本書より)

 昨年(2004年)秋に京都で開催された日本癌治療学会総会では,会長の山岸久一先生(京都府立医科大学外科教授)が総会テーマとして「心」を掲げ,癌治療における患者さんの気持ちや医療従事者の持つべき心構えについて原点に戻って討論するという企画が数多く行われました。
 そのなかで,外科の小川道雄先生(宮崎県立延岡病院院長)が「癌患者に対する緩和医療と外科医」という教育講演をなさいました。
 以前からこの欄で小川先生の『外科学臨床講義』『研修医のための早朝講義』『癌についての505の質問に答える』(いずれもへるす出版刊)をとりあげました。そのたびに先生の講義・講演をぜひ直接お聞きしたいと思っていた私にとっては,絶好の機会でした。
 先生が講演のなかでまず最初にスライドで紹介されたのが,上述の本書『冷い夏、熱い夏』の一節でした。著者は吉村昭さんで,この欄でも以前に『白い航跡』を紹介しました。明治10年代の後半に脚気病の予防に画期的な進言をした高木兼寛先生(当時海軍省医務局長,のちに東京慈恵会医科大学創始者)の半生を描いた小説でした。
 史実に基づいた歴史小説を数多く出版している吉村さん,そのなかには医学・医療史を扱った『夜明けの雷鳴』(文藝春秋刊)『光る壁画』『ふぉん・しいほるとの娘』(いずれも新潮社刊)などがあり,みなさんのなかにも愛読者の方が多いことと思います。しかし私自身,吉村さんがどうして医学史に興味を持っているのか,いままで知らずにいました。
 本書は,昭和50年代はじめに,吉村さんの弟さんが進行性肺癌を患い,1年あまりにわたって壮絶な闘病をする姿と,看病に奔走する吉村さん自身や家族の姿,さらに医師・看護師・付添婦を描いた小説です。
 わずか30年前,しかし癌緩和ケアという概念は日本になかった時代の医療事情を,史実小説のように正確に描きながらも,一卵性双生児のようにして育った弟を思う吉村さんの気持ちを随所に織り込んでいます。
 “「がまんできるものならば,鎮痛剤の注射なんかしてもらいませんよ。どうにもならないから,打って欲しいと頼んでいるんじゃないですか」
 弟の顔色が変わった。
 「がまんはしていますよ。それがあんたにはわからないんですか」
 弟の声が,甲高くなった。(中略)
 弟が,徐に目を閉じた。しばらくすると,弟の口が動いた。
 「看護婦さんて,みんないい人ばかりだよ」
 それは,うわごとに近い不鮮明な言葉で,すでに鎮痛剤が神経を麻痺させていることをしめしていた(本書より)"
 講演で何を小川先生が伝えたかったのかを考えながら本書を読むと,医学・医療の歴史をふまえながら,時代に流されることなく,また後れることなく,医師・看護師と患者の関係をしっかりと見据えて日常医療にたずさわることを,静かに諭されていたように私には感じられました。

 “手術台に縛りつけられてメスを加えられ肋骨を切断されている間,時間というものの重い存在を実感として意識した。(中略)時間の存在を身にしみて知った私にとって,死は概念の世界のものではなくなった。人間の生命は時間の流れとともに推移し,或る瞬間,弦が音を立てて切れるように死の中に操りこまれてゆく"(本書より)